遊びとは何か


2002年、スウェーデン人の哲学者ニック・ボストロムがその著作のなかで述べた奇妙な説は、社会の一部を賑わせる。
シミュレーション仮説。我々は、プログラムされたシミュレーションの中で暮らしているだけなのではないか。そんな背筋の冷えるような可能性を、しかし我々は唾棄することは出来ない。たとえばもし、誰かの作ったゲームのなかで、想定どおりにものを語り・食事をし・歩き回っているだけだとしたら?
ゲームのなかの住民。だがもしかすると、そもそも既にして我々はそうなのかもしれない。我々はゲームのプレイヤーだ。
ヨハン・ホイジンガによれば、社会活動の根幹には”遊び”の精神が備わっているという。遊びは消費の機会であり、出入りの自由で任意の活動だが、緊張をもたらす不可避のルールが存在している。
我々が今遊んでいるゲームのルールをすら忘れ、見えない仮説に帰結される混沌へ零れ落ちたときにこそ、真に恐怖する事態がバーチャルでなくリアルとして表出するのかもしれない。

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